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2009年10月22日

恵比寿 防衛研究所

 昨日、予定通りに出雲空港を7時35分発の第一便で上京しました。飛んでる時間は約一時間、早い事は確かに早いのですが、やっぱり余り気持ちの良いもんじゃありませんねえ。出雲の神々のお力で万死の中に一生を得、無事羽田空港に到着しました。

 到着後、宿泊先の新橋のホテルに荷物を置き、いよいよ恵比寿にある防衛省防衛研究所に向かい、到着したのが11時過ぎでした。羽田から乗る電車を検討するのに15分、新橋でのホテル探しが30分、恵比寿で道を一本間違えて15分、都合僅か一時間のロスと言う上々の滑り出しです。

恵比寿 防衛研究所

 それから閉館時間の4時30分まで調べました。係員の方に相談して貸し出して頂いたのが次の3冊です。「軍服の青春・陸軍編」「日本陸軍兵科連隊」「日本陸軍戦車部隊略史」。

 調べて分かった事は色々ありましたが、中でも日本陸軍における戦車部隊への考え方に唸ってしまいました。そもそも戦車部隊は英軍と仏軍で始まったそうですが、イギリスは戦車部隊を機動力と火力を持った、それ自体が攻撃力を持つ部隊と考えました。一方フランスは、あくまでも歩兵を支援する部隊と考えたようです。日本陸軍は歩兵の軍との認識から、当時の軍部は仏軍の考え方に同調し、戦車部隊をそれ程重く見ずに戦車の開発を怠ってしまったそうです。

 その結果、昭和18年ごろには世界の戦車と日本の戦車とは比較にならないほどの開きが出来、敵の47ミリ砲に対しこちらは37ミリ砲。新たな生産もままならず、昭和19年には所有する戦車がほとんど底を突いた状態にまで落ち込んでしまったそうです。父が生前、「敵が九十九里浜に上陸したら、3時間でこちらは全滅しただろう」という言葉をその時思い出していました。父の居た部隊についてはまた書きます。今日はこれから千葉に向かう事にしています。

 ホテルの窓から見える赤い建物、あれって東京タワーか?

恵比寿 防衛研究所




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Posted by 府中店長 at 08:36│Comments(0)父親探しの旅
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