2017年04月13日
蘇る1975
1975年、昭和50年はカープが初優勝を成し遂げた年です。苦節26年、万年Bクラスのローカル球団が全国区となった記念すべき年でしたが、あの年のオールスターゲームは「赤ヘル軍団」という呼称が生まれたことでも知られています。
甲子園での第一戦、第一打席で山本浩二さんと衣笠祥雄さんが近鉄の太田幸司さんからホームラン、続く第二打席も二人は揃って今田はパ・リーグのエース阪急の山田久志さんから連続打席ホームランをかっ飛ばしたのです。
翌日の一般紙に「赤ヘル軍団」の見出しが躍るのを見た衣笠さんは、「へ~赤ヘル軍団!、凄いねえと思いました」と述懐されていますが、この快挙がこの年のカープ初優勝に繋がったと言われています。
さて昨日、選挙カーのナビ係として半日を終え、その後ちょっとややこしい仕事を片付けて帰宅しますとテレビのスイッチを入れた妻がこう申します。
「あっ、カープが6対2で勝っとるよ」
「何?今日勝ちゃあ9連勝だがな。で、誰が投げとる?」
「ちょっと待って、ええと、新井とエルドレッドが連続ホームランだって」
「いや、ピッチャーは誰な?って聞いとるんだがな」
自分で観れば良いじゃないかと言われそうですが昨日は少々疲れ気味、先ずは晩酌とこの男は食卓を離れようとは致しません。
しかしこの頃の野球中継ってのは画面上に試合経過がテロップとして流れるようでして、どうも妻はそれを観ながら経過報告をしてくれたみたいです。
それによると新井とエルドレッドは第一打席と第二打席で連続HR、先発投手はカープ床田、巨人内海と知れました。
「そうすると内海から打ったってことか?」
「うん、どうもそうみたいだよ」
「う~ん、カープ強いのぉ」
晩酌を終え風呂に入ってテレビの前に座ると試合は7回裏巨人の攻撃、スコアは7-5の場面でした。この後カープは堂林選手の2点ライムリーヒットが飛び出し9-5で勝利、何と9連勝を飾りました。
「富士山が噴火でもするんじゃないか?」、ゲームセットを見届けたこの男はそう思ったそうでございます。
甲子園での第一戦、第一打席で山本浩二さんと衣笠祥雄さんが近鉄の太田幸司さんからホームラン、続く第二打席も二人は揃って今田はパ・リーグのエース阪急の山田久志さんから連続打席ホームランをかっ飛ばしたのです。
翌日の一般紙に「赤ヘル軍団」の見出しが躍るのを見た衣笠さんは、「へ~赤ヘル軍団!、凄いねえと思いました」と述懐されていますが、この快挙がこの年のカープ初優勝に繋がったと言われています。
さて昨日、選挙カーのナビ係として半日を終え、その後ちょっとややこしい仕事を片付けて帰宅しますとテレビのスイッチを入れた妻がこう申します。
「あっ、カープが6対2で勝っとるよ」
「何?今日勝ちゃあ9連勝だがな。で、誰が投げとる?」
「ちょっと待って、ええと、新井とエルドレッドが連続ホームランだって」
「いや、ピッチャーは誰な?って聞いとるんだがな」
自分で観れば良いじゃないかと言われそうですが昨日は少々疲れ気味、先ずは晩酌とこの男は食卓を離れようとは致しません。
しかしこの頃の野球中継ってのは画面上に試合経過がテロップとして流れるようでして、どうも妻はそれを観ながら経過報告をしてくれたみたいです。
それによると新井とエルドレッドは第一打席と第二打席で連続HR、先発投手はカープ床田、巨人内海と知れました。
「そうすると内海から打ったってことか?」
「うん、どうもそうみたいだよ」
「う~ん、カープ強いのぉ」
晩酌を終え風呂に入ってテレビの前に座ると試合は7回裏巨人の攻撃、スコアは7-5の場面でした。この後カープは堂林選手の2点ライムリーヒットが飛び出し9-5で勝利、何と9連勝を飾りました。
「富士山が噴火でもするんじゃないか?」、ゲームセットを見届けたこの男はそう思ったそうでございます。