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2006年05月13日

ある夏の風景

ある夏の風景
 私が小学校の三年生か四年生の夏、ですからおよそ40年前、家族で広島に旅行をしました。中国山地の麓、広島県との県境で暮らす一家にとって数年に一度の家族旅行です。今でこそ島根県松江市と広島県広島市はバスで3時間半ほどですが、当時は県境の私の町からでも乗り換えて4時間近くかかったと記憶しています。


 初めて行った広島平和公園、原爆資料館、そして原爆ドーム。子供でしたので、原爆資料館は「怖い」とだけ思いました。特に様々な写真は、正直子供にとって「気味の悪い」ものでしかなかったのです。


 資料館を出てホッとしていると、父親がキャンディー(アイスクリーム)を買ってくれました。そのキャンディー屋さん、片腕がありませんでした。
私「おとうちゃん、あの人どうしちゃったん?」
父「ありゃーのぅ、戦争か原爆であがーな事になられたんよ。気の毒にのう」


 平和公園は暑い日ざしが照りつけ、何羽ものハトが飛び交う平和な風景。その中で、自転車の荷台にキャンディーの箱を積み、麦藁帽子と首に手ぬぐい姿のおじさんの姿。私の、忘れられない記憶として残っています。


 学生時代、「経営組織論」の授業で「被爆者援護法の早期制定を」と言うレポートを提出しました。東京から島根への帰省途中、広島大学の友人の下宿に泊り込み書き上げましたが、何故「経営組織論」で「被爆者援護法」なのか?今ではよく覚えていません。


 その「原子爆被爆者に対する援護に関する法律」は1994年11月に成立しました。そして今朝の新聞、一面で大阪地裁の原爆症訴訟での原告勝訴の記事が掲載されていました。原告の方は、被爆してからすでに61年も経過しています。


 私は、時の総理大臣が「もはや戦後ではない」と国会で答弁した昭和31年生まれです。しかし、その言葉と裏腹にこの現実。「構造改革」も必要でしょう、しかし実際に原爆症で苦しむ方たちを是非救ってあげてください。小泉さん、お願い致します。



Posted by 府中店長 at 08:14│Comments(0)
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