2022年03月07日
三沢淳さん
あれは昭和 45 年( 1970 年)、私が中学二年で三沢さんが高校三年生の夏だったと記憶しています。
その日その時、何故その場所に居たのか定かではありませんが、当時の松江市営球場近くで江津工業ナインの皆さんとすれ違ったのです。すると引率の N 先生が咄嗟に「あっ、三沢だ !? 」と口に出されたのですが、先生の言葉を待つまでも無く、一団の中で図抜けて背の高い三沢さんは直ぐにそれと分かりました。
もうね、子供心にも『三沢、凄いなあ』と思いましたよ。ともかくチームメイトより頭一つ背が高くがっちした体付き、印象的だったのは真っ黒に日焼けした三沢さんの顔でしたねえ。
おそらくそれは春の選抜大会での雄姿だと思うのですが、ともかくテレビで見た人が目の前を通り過ぎるんですからね、山里 頓原の子にはそりゃあショックでしたよ。三沢さん、島根県民のスターでしたから。
69 歳での旅立ちはいかんせん早過ぎます。
三沢さん安らかに、合掌。
その日その時、何故その場所に居たのか定かではありませんが、当時の松江市営球場近くで江津工業ナインの皆さんとすれ違ったのです。すると引率の N 先生が咄嗟に「あっ、三沢だ !? 」と口に出されたのですが、先生の言葉を待つまでも無く、一団の中で図抜けて背の高い三沢さんは直ぐにそれと分かりました。
もうね、子供心にも『三沢、凄いなあ』と思いましたよ。ともかくチームメイトより頭一つ背が高くがっちした体付き、印象的だったのは真っ黒に日焼けした三沢さんの顔でしたねえ。
おそらくそれは春の選抜大会での雄姿だと思うのですが、ともかくテレビで見た人が目の前を通り過ぎるんですからね、山里 頓原の子にはそりゃあショックでしたよ。三沢さん、島根県民のスターでしたから。
69 歳での旅立ちはいかんせん早過ぎます。
三沢さん安らかに、合掌。
Posted by 府中店長 at 09:05│Comments(0)
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