2020年02月13日
時刻表
友人にヤフオクで落札して貰った時刻表、当たり前ですが実に色々なことが分かりました。

先ず昭和45年(1970年)当時、山陰本線を走る特急列車が2本もあったことに驚きました。一つは京都と博多を結ぶ特急まつかぜ号、そして新大阪と島根県浜田市を結ぶ特急やくも号です。
正直な感想、それは「こんな田舎に特急が2本も!?」、これでございました。そして急行列車も【さんべ】【だいせん】【石見】【しんじ】【あきよし】、更には懐かしや寝台急行列車【出雲】、都合6本も走っていたのです。
この出雲号、島根県浜田市と東京を結んでおりまして、私が学生の頃には特別急行列車に格上げとなっていたと記憶しています。しかし時刻表は面白い、名作『点と線』の安田亮子もかくやと存じた次第。(←何のこっちゃ?と思われた方、読み飛ばして下さいね)
さて肝心のさんべ号、この時刻表から恐らくこれであろうと推測した乗継がございました。
当時、石見大田駅を 08:20 に出発した【さんべ1号】は熊本ではなく小倉が終着駅でした。小倉着が 14:00、そして36分待ち合わせると小倉始発で長崎行の【急行いなさ5号】が発車するのです。何と言うドンピシャのタイミング、5時間40分の汽車旅に疲れた引率の先生方はホッと一息つかれたことでありましょう。
一方で恐らく大半が人生初の汽車旅を迎えた子供達は意気軒高、小倉駅のホームで今や遅しと急行いなさ号を待ち構えたことでしょう。そして終着長崎駅には19時ちょうどに到着、これで50年前の旅程の一角を知ることが出来ました。
途中小倉駅で36分の待ち合わせが有ったとは言え実に10時間40分の列車旅、修学旅行の楽しさ嬉しさが苦痛を大きく上回ったのだと推測します。今となってはとても無理ですがね。
先ず昭和45年(1970年)当時、山陰本線を走る特急列車が2本もあったことに驚きました。一つは京都と博多を結ぶ特急まつかぜ号、そして新大阪と島根県浜田市を結ぶ特急やくも号です。
正直な感想、それは「こんな田舎に特急が2本も!?」、これでございました。そして急行列車も【さんべ】【だいせん】【石見】【しんじ】【あきよし】、更には懐かしや寝台急行列車【出雲】、都合6本も走っていたのです。
この出雲号、島根県浜田市と東京を結んでおりまして、私が学生の頃には特別急行列車に格上げとなっていたと記憶しています。しかし時刻表は面白い、名作『点と線』の安田亮子もかくやと存じた次第。(←何のこっちゃ?と思われた方、読み飛ばして下さいね)
さて肝心のさんべ号、この時刻表から恐らくこれであろうと推測した乗継がございました。
当時、石見大田駅を 08:20 に出発した【さんべ1号】は熊本ではなく小倉が終着駅でした。小倉着が 14:00、そして36分待ち合わせると小倉始発で長崎行の【急行いなさ5号】が発車するのです。何と言うドンピシャのタイミング、5時間40分の汽車旅に疲れた引率の先生方はホッと一息つかれたことでありましょう。
一方で恐らく大半が人生初の汽車旅を迎えた子供達は意気軒高、小倉駅のホームで今や遅しと急行いなさ号を待ち構えたことでしょう。そして終着長崎駅には19時ちょうどに到着、これで50年前の旅程の一角を知ることが出来ました。
途中小倉駅で36分の待ち合わせが有ったとは言え実に10時間40分の列車旅、修学旅行の楽しさ嬉しさが苦痛を大きく上回ったのだと推測します。今となってはとても無理ですがね。

Posted by 府中店長 at 08:35│Comments(0)
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