2023年03月17日
銀座 煉瓦亭
あれは『散歩のとき何か食べたくなって』だったか『昔の味』だったか?、ともかく池波先生のエッセーでその店名を覚え「一度は行ってみたいなあ」と思っている銀座 煉瓦亭、他にも目黒駅近くと聞くトンカツのとんき、京都三条木屋町の松鮨、神田花ぶさ、道頓堀大黒等々。
その煉瓦亭で日韓首脳が二次会とか。なるほどオムライスねえ、先生ご贔屓のカツレツもぜひ味わって頂きたかった。
さて池波先生が亡くなったのは 1990 年、満 67 歳の 5 月、余りにも早い旅立ちに呆然としたことを覚えています。昨年が三十三回忌だったのかな?、亡くなった時自分は三十そこそこ、改めて光陰矢の如しを実感する思いが致します。
そして今年、私は池波先生が逝かれた歳と同じ 67 になるのですよ。
天と地、雲泥、他に言葉が浮びませんが先生とは人種が違い過ぎますわ。
精々先生が通われたお店に「何時か行こう」との望み持て、お迎え来るその日まで粛々と歩むのみかと。
そう言えば松江東本町の BAR 山小舎、結構酔っ払ってから伺った某日、カウンターに座りハイボールを二杯飲んだのですが、その時マスターから「池波先生がいらっしゃったことがあります」って聞いた様な・・・。
これ、確かめてみなくちゃな。
うん、今度は飲み過ぎない内にね。
その煉瓦亭で日韓首脳が二次会とか。なるほどオムライスねえ、先生ご贔屓のカツレツもぜひ味わって頂きたかった。
さて池波先生が亡くなったのは 1990 年、満 67 歳の 5 月、余りにも早い旅立ちに呆然としたことを覚えています。昨年が三十三回忌だったのかな?、亡くなった時自分は三十そこそこ、改めて光陰矢の如しを実感する思いが致します。
そして今年、私は池波先生が逝かれた歳と同じ 67 になるのですよ。
天と地、雲泥、他に言葉が浮びませんが先生とは人種が違い過ぎますわ。
精々先生が通われたお店に「何時か行こう」との望み持て、お迎え来るその日まで粛々と歩むのみかと。
そう言えば松江東本町の BAR 山小舎、結構酔っ払ってから伺った某日、カウンターに座りハイボールを二杯飲んだのですが、その時マスターから「池波先生がいらっしゃったことがあります」って聞いた様な・・・。
これ、確かめてみなくちゃな。
うん、今度は飲み過ぎない内にね。
Posted by 府中店長 at 09:11│Comments(0)
│グルメ