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2020年06月06日

天草五橋

 昭和47年(1972年)、故郷の頓原中学校を卒業し県都松江市の高校へ進みましたがその年は大水害、宍道湖や大橋川が溢れ市内はほぼ冠水しました。因みに松江市の南北を結ぶ三番目の橋として建設された宍道湖大橋が完成したのがこの年、彼は生れて直ぐに濁流の洗礼を受けた悲しい過去を持っています。

 そして次の年、昭和48年は大渇水、故郷では経験したことが無い2年続きの大災害に、「松江なんかに来るんじゃなかった」と正直思いましたねえ。

 それでも歴史ある松江大橋、新大橋、そして件の宍道湖大橋は故郷では見ることの出来ない立派な橋でございました。特に松江大橋、橋の中ほどから見る風景や見下ろす大橋川は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の往時を思わせ、少年の目にも城下町の情緒深さを感じさせたものでございます。

 閑話休題、川や湖ではなく、生れて初めて海に架かる橋を渡ったのは何時だったろう? 先日、急にそんな疑問が生じたのです。

 しかし昭和31年、1956年製ですからねえ、ちょっとガタが来てますんで“直ぐに“と言う訳には参りません。あれでそう、四~五日も経った頃でしょうか、唐突に思い出しました。

『うんそう、呉のループ橋、瀬戸音戸大橋 !! 小学校の修学旅行で海上自衛隊へ行った時だ !! そう、呉だよ呉 !!』

 小学校の修学旅行は広島行、その時目にしたループ橋、あんなの初めて見ましたからねえ。それに眼下は狭いとは言え海峡、その高さと共に興奮の声がバス中に巻き起こったことでございましょう。

 そしてもう一カ所、一緒に思い出したのが天草五橋です。連想なんでしょうね、小学校の修学旅行は音戸大橋、じゃあ中学校は? ってことなんでしょうが、これも閃光のように頭に浮かびました。

『待て待て、長崎から熊本へは島原港から熊本港へのフェリーと思っとったけど、何だか海の上の長~い橋を渡った様な気がするなあ、あれ、ひょっとして天草五橋なのか?』

 6月3日、亡き友の墓参に同行してくれた幼馴染みのKに話しますとこうキッパリと断言致しました、「うん、天草五橋に間違い無し !!」face_02
  


Posted by 府中店長 at 08:59Comments(0)店長日記