2019年06月06日
松本清張氏と山陰
氏の父上は鳥取県日南町生まれ、幼少時に鳥取県米子市の松本家の養子となるも青年期に広島市へと移り住まれたそうです。
氏の出生後に一家は北九州へ移住、貧困故に出奔した故郷山陰への帰省は生涯叶わなかったそうですが、父上は氏に度々山陰の話をされ、それが後の清張作品の数々になったと言われています。
その代表的な作品が『砂の器』、今朝の毎日新聞の島根版に以下のコラムが掲載されています。
無論この作品が山陰を舞台にした最高峰、しかし私は『球形の荒野』を挙げます。
記憶違いでなければ、この『球形の荒野』には『奥出雲 頓原の雪』?とか言う一節があるからです。
確かに『球形の荒野』だった、と思う。
けど、自信は無いなあ。
うん、今夜書棚を探してみなくては。
氏の出生後に一家は北九州へ移住、貧困故に出奔した故郷山陰への帰省は生涯叶わなかったそうですが、父上は氏に度々山陰の話をされ、それが後の清張作品の数々になったと言われています。
その代表的な作品が『砂の器』、今朝の毎日新聞の島根版に以下のコラムが掲載されています。
無論この作品が山陰を舞台にした最高峰、しかし私は『球形の荒野』を挙げます。
記憶違いでなければ、この『球形の荒野』には『奥出雲 頓原の雪』?とか言う一節があるからです。
確かに『球形の荒野』だった、と思う。
けど、自信は無いなあ。
うん、今夜書棚を探してみなくては。