2018年08月09日
郷土の偉人
毎年8月9日は郷土が生んだ偉人、永井隆博士に思いを馳せます。
長崎医大にて被爆、直後から救護活動に携われるも昭和26年43歳で亡くなられました。
その間ヘレンケラー氏の見舞いを受け、また昭和天皇に謁見されるなど、自ら原爆症と戦いながら原子病の研究を続けられる姿は当時の長崎の人達に勇気と感動を与えたのであろうと拝察致します。
先日、博士が昭和天皇に謁見された折の感想を述べられている手記を目にしました。
『私はあの細やかな心遣いをして、どんな小さなものでも、いたわられる愛情と御態度こそ、今の私達日本人が、毎日の生活にまねをしなくてはならないと思う。今日本人はお互いに分離しているが、陛下がお歩きになると、そのあとに万葉の古い時代にあった、なごやかな愛情の一致が、甦って日本人が再び結びつく』
今年もまた藤山一郎さんの『長崎の鐘』を聴き、数多の御霊に鎮魂の祈りを捧げることに致します。合掌。
長崎医大にて被爆、直後から救護活動に携われるも昭和26年43歳で亡くなられました。
その間ヘレンケラー氏の見舞いを受け、また昭和天皇に謁見されるなど、自ら原爆症と戦いながら原子病の研究を続けられる姿は当時の長崎の人達に勇気と感動を与えたのであろうと拝察致します。
先日、博士が昭和天皇に謁見された折の感想を述べられている手記を目にしました。
『私はあの細やかな心遣いをして、どんな小さなものでも、いたわられる愛情と御態度こそ、今の私達日本人が、毎日の生活にまねをしなくてはならないと思う。今日本人はお互いに分離しているが、陛下がお歩きになると、そのあとに万葉の古い時代にあった、なごやかな愛情の一致が、甦って日本人が再び結びつく』
今年もまた藤山一郎さんの『長崎の鐘』を聴き、数多の御霊に鎮魂の祈りを捧げることに致します。合掌。