2017年07月01日
川崎球場
昔、神奈川県川崎市に大洋ホエールズやロッテオリオンズが本拠地とした川崎球場がありました。
確か昭和52年~53年頃と記憶していますが、この球場には一度か二度出掛けた経験があります。それはプロ野球観戦ではなく、在学していた東京経済大学の硬式野球部を応援するためでございました。
現在も東経大の硬式野球部は首都大学リーグに所属していますが、当時はリーグ戦の応援に行くと体育の単位が取り易かった、つまり出席日数が足りない学生のための救済措置として『リーグ戦観戦お助け制度』があったのです。
と申しますのも、東経大の体育授業は国分寺のキャンパスからスクールバスで1時間ほどかかる武蔵村山市の通称村山校舎で行われていたのです。つまり授業の始まる90分前には大学へ行ってこのスクールバスに乗らなければならず、それに乗り遅れた学生はそのまま欠席を余儀無くされていたのです。
まあ大学としてもその辺を顧慮した救済制度であったと思うのですが、それが何時頃から始まったものか、また現在も続いているのかは存じておりません。
先日読み終えた『二人のエース』、「川崎球場」の記述に遠い学生時代を思い出した次第。
確か昭和52年~53年頃と記憶していますが、この球場には一度か二度出掛けた経験があります。それはプロ野球観戦ではなく、在学していた東京経済大学の硬式野球部を応援するためでございました。
現在も東経大の硬式野球部は首都大学リーグに所属していますが、当時はリーグ戦の応援に行くと体育の単位が取り易かった、つまり出席日数が足りない学生のための救済措置として『リーグ戦観戦お助け制度』があったのです。
と申しますのも、東経大の体育授業は国分寺のキャンパスからスクールバスで1時間ほどかかる武蔵村山市の通称村山校舎で行われていたのです。つまり授業の始まる90分前には大学へ行ってこのスクールバスに乗らなければならず、それに乗り遅れた学生はそのまま欠席を余儀無くされていたのです。
まあ大学としてもその辺を顧慮した救済制度であったと思うのですが、それが何時頃から始まったものか、また現在も続いているのかは存じておりません。
先日読み終えた『二人のエース』、「川崎球場」の記述に遠い学生時代を思い出した次第。