2016年08月05日
5日後同窓会
8月10日、頓原中学校第25期卒業生の同窓会を開催します。
実を申し上げますと世話人二人は自分達が何期卒業なのか把握しておらず、今朝ほど故郷に住む幼馴染みのシーちゃんにメールして確認した次第です。過去にも頓原に住む男共は全く当てに出来ず、女性のシーちゃんが居てくれることで第25期卒業生は会う機会を得られる、誠に得難い人でございます。
さて当日、遠方より帰省する人には公共交通機関での到着時刻を知らせてくれれば迎えに行くと通知しておりました。然るに今のところ兵庫県は伊丹市に住むつよっさんだけが10時過ぎに出雲空港着との返信があるのみ、熊本の豊田君、大阪の桐ちゃん、そして三重の益さんからはその旨の特記が無い葉書が帰って参りました。
お盆前の高速道路は混雑必至なのに3人とも自動車なのか?、そうであれば安全運転でと願うばかりです。
残念ながら既に鬼籍に入った者3名、残る52名の内今回は19名が出席となりました。内訳は男が13名で女性6名、久しぶりに昔に帰り、同級生との時間を楽しみたいと思っております。
実を申し上げますと世話人二人は自分達が何期卒業なのか把握しておらず、今朝ほど故郷に住む幼馴染みのシーちゃんにメールして確認した次第です。過去にも頓原に住む男共は全く当てに出来ず、女性のシーちゃんが居てくれることで第25期卒業生は会う機会を得られる、誠に得難い人でございます。
さて当日、遠方より帰省する人には公共交通機関での到着時刻を知らせてくれれば迎えに行くと通知しておりました。然るに今のところ兵庫県は伊丹市に住むつよっさんだけが10時過ぎに出雲空港着との返信があるのみ、熊本の豊田君、大阪の桐ちゃん、そして三重の益さんからはその旨の特記が無い葉書が帰って参りました。
お盆前の高速道路は混雑必至なのに3人とも自動車なのか?、そうであれば安全運転でと願うばかりです。
残念ながら既に鬼籍に入った者3名、残る52名の内今回は19名が出席となりました。内訳は男が13名で女性6名、久しぶりに昔に帰り、同級生との時間を楽しみたいと思っております。
2016年08月01日
ウルフ逝く
昭和の大横綱、千代の富士の九重親方が逝かれました。親方は昭和30年生まれですので私より1歳年長、それだけに私達の年代の者にとって同世代の象徴であり昭和の大スターでございました。
私の住む町、松江市東出雲町に千代の富士さんが来られたのは1991年、平成3年のことでした。
それは引退して年寄・陣幕(じんまく)を襲名された時、東出雲町出身の第12代横綱・陣幕九五郎(1829年~1903年)の顕彰記念事業の一環として当時の九重親方、北の富士さんとお二人で本町に御出でになったのです。
しかしのっぴきならない仕事でも入っていたのか、私はお二人を拝見した記憶がございません。後日、町内をオープンカーでパレードされる写真を町報で見ただけでございました。今にして思います、仕事なんてほっぽらかして見物に出掛けるべきであったと。
またこの時、思い掛けぬ仕事をさせて頂きました。
来町が迫ったある日、町民体育館の館長さんから「直ぐに来てもらえませんか」とお電話を頂き、伺うと応接室に通されました。
「今度北の富士さんと千代の富士さんが来られるんだがね」
「勿論知ってます、大変な人出になるでしょうねえ」
「それでね、この応接室で休憩されることになってね」
「え?役場じゃなくここで?」
「そげだがね。そんで問題はこのソファーよね」
体育館の応接室にあるソファーはかなりの年代物、まさかお二人が座られても壊れることは無いでしょうが、「この際新調すべし」と町長さんから指示を受けたとのことでした。ですから現在東出雲体育館の応接室にあるソファーはお二人を迎えるに当たり購入されたもの、25年も前の事ですからそれを知る人も少なくなりました。
昨年は北の湖さんが62歳で、そして千代の富士さんは61歳で旅立たれました。昭和の灯また一つ、合掌。
私の住む町、松江市東出雲町に千代の富士さんが来られたのは1991年、平成3年のことでした。
それは引退して年寄・陣幕(じんまく)を襲名された時、東出雲町出身の第12代横綱・陣幕九五郎(1829年~1903年)の顕彰記念事業の一環として当時の九重親方、北の富士さんとお二人で本町に御出でになったのです。
しかしのっぴきならない仕事でも入っていたのか、私はお二人を拝見した記憶がございません。後日、町内をオープンカーでパレードされる写真を町報で見ただけでございました。今にして思います、仕事なんてほっぽらかして見物に出掛けるべきであったと。
またこの時、思い掛けぬ仕事をさせて頂きました。
来町が迫ったある日、町民体育館の館長さんから「直ぐに来てもらえませんか」とお電話を頂き、伺うと応接室に通されました。
「今度北の富士さんと千代の富士さんが来られるんだがね」
「勿論知ってます、大変な人出になるでしょうねえ」
「それでね、この応接室で休憩されることになってね」
「え?役場じゃなくここで?」
「そげだがね。そんで問題はこのソファーよね」
体育館の応接室にあるソファーはかなりの年代物、まさかお二人が座られても壊れることは無いでしょうが、「この際新調すべし」と町長さんから指示を受けたとのことでした。ですから現在東出雲体育館の応接室にあるソファーはお二人を迎えるに当たり購入されたもの、25年も前の事ですからそれを知る人も少なくなりました。
昨年は北の湖さんが62歳で、そして千代の富士さんは61歳で旅立たれました。昭和の灯また一つ、合掌。