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2009年02月20日

八方塞がり

 昨日、父の事を調べるために先ず訪れたのが、出身校である此花商業学校(現此花学院高等学校)です。大阪市生野区勝山南と言う場所ですが、無論私には初めての土地でした。辿り着いた学校で女性の事務の方に、父が在籍した昭和12年から16年頃の事を知りたい旨を告げたのですが……。

 しかし、結果は思っていたよりも厳しいものでした。この学校が設立されたのが昭和4年、その後戦災や二度の移転を繰り返す中で資料と呼べるものはほとんど現存していないとの事なのです。こちらの学校が正式に卒業生の名簿の作成を初めたのが昭和48年との事で、それ以前のものは全くなく、ほとんど手掛かりのない状態でした。これでは、父がこの学校を卒業した証しさえ見つけられません。約一時間ほどだったでしょうか、ご親切な事務員の方の応対を謝し、半ば茫然と学校を後にしました。

 次に私が向かったのが大阪市役所です。と申しますのも、当時此花商業学校が在った場所が東淀川区長柄中通3丁目30番と学校で伺ったのですが、現在の地名にはそれが存在せず、今のどの辺りになるのかを教えて貰おうと考えたのです。当時の資料が学校に残っていないのなら、せめてその場所を知り、出来ればそこを訪ねてみたいと思ったからです。

 しかし、この願いも直ぐには実現しません。訪ねた大阪市役所の市民局で伺ったところ、当時の東淀川区が編成されたのが昭和8年、その後二度の編成替えがあったため、当時の番地と今の番地を照合するのは大変な作業になるとの事でした。対応して下さった方の、「当時の地図が残っていれば何とか分かるかもしれません。時間はお約束できませんが、私が調べてみます。分かったらご連絡致しますから」との申し出に救われ、「何分にもお願いします」と市役所を辞しました。

 今回痛切に感じた事、それは戦争が残した傷跡です。私が訪れた両所で、対応して頂いた方の口から何度「空襲」「戦後の混乱」と言う言葉を聞いたことでしょう。空襲でほとんどのものが焼き尽くされ、戦後の混乱期がそれに拍車を掛けたのですから、当時の資料が残っていないのも当然かもしれません。そう言えばと、映画のワンシーンを思い出したのが帰りの列車の中でした。

 その映画は「砂の器」。今西刑事役の丹波哲郎さんが大阪に出張し、犯人和賀英良(配役加藤剛さん)の戸籍を調べる場面です。戸籍の紙が比較的新しいのを不審に思った今西刑事がそれを口にすると、戸籍係の人が「この辺は空襲で役所も焼けましたから」と答えます。そこで今西刑事が「それじゃあ、これは法務局の原本を写したものですか?」と尋ねるのですが、係りの人は法務局も空襲で焼けたので原本もないと答える、そんなシーンでした。

 今回の旅、ほとんど成果の上がらぬものとなりました。また実家に帰った折に新しい手掛かりを見つけられれば、そう思っています。昔から「捨てる神あれば拾う神あり」、そう申しますから。




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Posted by 府中店長 at 09:22Comments(0)父親探しの旅